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趣味男のセルフ観察日記

個人的に書いている日記の公開です。コンテンツ性はないですよん。あしからず。

日記 その17

2017/02/11

 

日記を書く(ぶっきらぼうだな、おい)

 

3:30ごろ起床。あまりはっきり覚えいていないが、目覚ましがなるより先に起きていたよう。リズムがついている。ただ、土曜ということもあり「このまま寝過ごしちまおうかなあ」と内心思う。すると、心の中に諭吉先生が現れ「僕が蘭学をしていたころはねえ」とありがたい体験談を語ってくれる。諭吉先生は、風邪をひいた時横になって休もうとされたのだが、その際枕がどこに行ったのかも解らないほど、日々睡眠時間を削り勉学にいそしんでいたそうである。まあ、俺は、一日六時間は眠るけれど(今のところは。もし、一日四時間半でスッキリ快活に生きていけるなら、それでもいいなあ、と思うけれど、まだ実験していないので解らないのだ)

 

起きて直ぐ、暖房およびパソコンの電源をつける。部屋着を着て、歯磨き、洗顔などを済ます。急いでいたわけではなかったが、テキパキと行動できていたのか、五六分で終わる。時間短縮するには、気持ちを焦らせるのは逆効果で、習慣化して行動に慣れることが大事なのだな、と改めて思った。

 

その後、ユーチューブで蓮沼執太さんの歌と平賀さち枝さんの「恋は朝に」を聴く。

 

その後上杉晋作さんのチェス動画を一本見る。四倍速。いつもよりすっきりした気持ちで視聴できた。ちょっと掴めた。

 

その後、うっかり英文法の学習を始める。というのも、当初はこの時間は、抜筋骨&站椿の時間だったからだ。が、学習は気づかず。例文は出てくる度に暗記していった。中期記憶には収納できたよう。だが、想起するきっかけはうまく設定できなかった。例文ごとに暗記していると、解説の流れがやや滞るので、解説の流れをつかむ一読目には、不適当な学習方法かもしれない。順番がずれたためか、ちょっと頭がぼんやりしていた。

 

その後、現代文の学習を始めようとして、抜筋骨&站椿を忘れていたことに気がついた。ので、そのまま抜筋骨&站椿をおこなう。丸激トークオンデマンドの2016年度年末ライブを聴きながらだ。普段の丸激も見ているのだが、年末ライブは2017年全体を視野におさめた内容なので繰り返し見ている(と言いつつ今現在で視聴二度目だが)。初見の段階では、やや絶望感を感じふさぎこんでしまったが、二度目だとだいぶ慣れてきている。人と繋がるとはどういうことなのか、共にいるとはどういうことなのか、丸激年末ライブを伴走者に、考えをまとめて行きたい。ちなみに、站椿は20分おこなう。休みの日だからだ。いつもは、力んでしまうのだが、今日は、如何に楽チンな姿勢でいるかにフォーカスしてみた。上手くいった。抜筋骨の質の向上にもつながったかもしれない。また、やはり站椿をしっかりつむと、抜筋骨でもよく動けるな、と感じる。

 

その後、現代文の復習をおこなう。やや俯瞰して読むことができた。作者の主張だけを抽出して読んでいる感じ。

 

その後、炊飯。

 

その後、赤チャートを読む。期待値や分散のところ。高校のころは授業になかった分野だが、なかなか面白い。というか、ほとんどこれまで読んできた個所の応用である。繋がっている。ここでも、俯瞰して眺めることの大切さを知った。固くした頭をパッと緩めるとみえてくるものがある。

 

その後バガボンド26巻を半分ほど読む。VS吉岡70人のエピソードはあまり好きじゃないかもしれない。ちょっと途中で読みたくなくなる。

 

その後、ツァラトゥストラを読む。自分の主張を立てるため、わざわざできそこのないの馬鹿どもを引き合いに出し批判している印象を受ける。が、面白い。ツァラトゥストラは学術的な本というより、ゲームブック的だ。読んでいくうちに、少しずつ、自分の思考が変質していくのがわかる。(とか言いつつ、具体的にはあまりよくわかっていないので、詳述はしない。まあ、5,6回読み終わる頃には何事か書けるようになるでしょう)

 

その後、マインドセットを音読する。昨日うっかり音読し忘れていので、できてよかった。満足。いくつかのマインドセットは不要ということで、削除する。将棋の森内さんの著作からもらったマインドセットを消そうか迷っている。なにか悲愴感のようなものを感じてしまうのだ。表現をマイルドに自分流に書き換えてみたら、心に響いてくるか?

 

その後、日記を書く。